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盛岡地方裁判所 平成5年(ワ)339号 判決

原告

東光寺

右代表者代表役員

渡瀬雄卓

右訴訟代理人弁護士

大澤三郎

小長井良浩

三島卓郎

荘司昊

岩渕敬

角山正

菊池至

真田昌行

木村和弘

小川原優之

被告

大塚順妙

右訴訟代理人弁護士

宮原守男

倉科直文

小泉健

澤口英司

松村光晃

築地伸之

熊田士郎

河野孝之

井田吉則

成田吉道

海野秀樹

主文

一  被告は、原告に対し、別紙物件目録記載の各建物を明け渡せ。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求の趣旨

主文同旨

第二  事案の概要

一  本件は、宗教法人である原告が、原告の住職であり代表役員であった被告に対し、被告は、原告の包括宗教法人である日連正宗からその住職の地位を罷免するとの懲戒処分を受け、原告の住職及び代表役員の地位を喪失したことによって別紙物件目録記載の各建物(以下「本件建物」という。)の占有権原をも失ったとして、所有権に基づき本件建物の明渡しを求めた事案である。

二  争いのない事実等

1  原告は、宗教法人日連正宗(以下「日連正宗」という。)を包括宗教法人とする宗教法人であって、本件建物を所有している(争いがない。)。

2  宗教法人東光寺規則(以下「原告規則」という。)八条に、原告の代表役員は、日連正宗の規程によって、原告の住職の職にある者をもって充てる旨定められているところ、日連正宗宗規(以下「宗規」という。)一七二条一項には、住職は、日連正宗管長が任免する旨定められている(甲四、五)。

3  被告は、平成四年一一月一九日に日連正宗管長阿部日顕(以下「阿部管長」という。)から原告の住職に任命され、前項の定めにより原告代表役員となって、その頃原告に赴任し、以来現在まで本件建物を占有している(争いがない。但し、被告の住職就任の日は乙一八による。)。

4  平成五年一月九日当時、原告の代表役員を除く責任役員(総代)(以下「責任役員」という。)に、金井勇平、晴山猛、宮沢正三郎、松山明、宮沢米男の五名(以下「金井ら」という。)が充てられていたところ、被告は、右同日、日連正宗代表役員の承諾を受けることなく、金井らを右責任役員の地位から解任する旨の意思表示をした(以下「本件解任行為」という。)。

5  日連正宗宗務院(以下「宗務院」という。)は、平成五年五月一五日被告を宗務院に召還して宗務院総監及び庶務部長が面接し、総監等が被告に対し、口頭で、本件解任行為は、宗規及び原告規則に違反する違法かつ無効なものであることを説示し、速やかに本件解任行為を白紙撤回して是正措置を取った上、その結果を同月二七日までに書面をもって宗務院へ報告するよう申し渡し、さらにその後、同月一七日付けの「訓戒」と題する書面を被告に送付して、同趣旨の訓戒を行った(争いがない。但し、報告書の提出期限、宗務院の面接者は甲一四による。)。

6  しかし、被告は、本件解任行為は正当であるとして本件解任行為の撤回を拒否し、報告書の提出にも応じなかった(争いがない。)。

7  日連正宗は、平成五年六月七日、日連正宗管長の名により、被告を原告住職から罷免する旨の意思表示をした(以下「本件罷免処分」という。)(争いがない。)。

三  争点

1  原告代表役員による責任役員の解任は、宗規二三六条三項に定められている解任事由に限定されるか。また、右解任に日連正宗代表役員の承認が必要か。

(一) 原告の主張

(1) 責任役員解任が宗規二三六条三項所定の解任事由に限定されることについて

原告における責任役員の解任については、原告規則中に明文の規定は設けられていないものの、宗規二三六条三項に「総代が犯罪その他不良の行為があったときは、住職又は主管は、この法人の代表役員の承認を受けて、直ちにこれを解任する。」と解任事由が定められており、この規定は、原告規則三五条の「日連正宗の規則中この法人に関係がある事項に関する規定は、この法人についてもその効力を有する」との定めにより原告においてもその効力を有する。

しかるに、被告は、右宗規所定の解任事由以外の理由により恣意的に金井ら責任役員を解任したのであって、右宗規に違反したものである。

なお宗規は、宗教法人法所定の手続を経て所轄庁である文部省の認証を受けた規則ではないが、日連正宗における認証規則である宗制(以下「宗制」という。)六三条による授権に基づいて定められたものであるから、宗規は認証規則としての効力を有する。

(2) 日連正宗代表役員による承認が必要であることについて

イ 仮に、原告代表役員が宗規二三六条所定の事由以外の理由で責任役員を解任する権限を有していたとしても、原告代表役員が責任役員を選任するについて日連正宗代表役員の承認を要する旨定める宗制四三条二項及び原告規則八条三項が責任役員解任の場合にも類推適用されるべきであるから、右解任には、選任の場合と同様に日連正宗代表役員の承認が必要である。

しかるに、被告は、右承認を得ることなく金井ら責任役員を解任したものであって、それらの法規に違反したものである。

ロ なお、原告責任役員の選任に関する日連正宗代表役員の承認規定が死文化し、届出程度の意味しかなかったという事実はない。

すなわち、日連正宗における代表役員とは、宗教法人法に基づく宗教法人の職制であり、管長とは、宗教法人としての枠組みをはずした日連正宗という教団全体における職制であるところ、日連正宗においては、宗制及び宗規により、法主の職にあるものをもって管長に充て、さらに管長の職にある者を代表役員に充てることとなっていることから、法主という立場にあるものが、大まかにいって、対外的な事項に関しては代表役員の名において、宗内における事項に関しては管長の名において、それぞれその職務を遂行してきたものの、同一人が兼務しているため、その呼称の使い分けは必ずしも厳密でなかったし、その必要もなかった。責任役員の選任に関する承認願において、実際の書面の宛名が管長のまま処理されてきたのは、右のような代表役員をいずれも法主が兼任するという日連正宗の法主中心の宗門運営に根ざすことによるものである。

また、原告を含めた日連正宗の被包括寺院の責任役員の選任、解任に関する日連正宗代表役員の承認の実態は、実効を伴うものであった。

すなわち、宗制、宗規に基づいて日連正宗代表役員宛承認願をする場合、先ず、地域の実情に精通する者に事実上の審査をしてもらう目的で、当該寺院を統括する布教区の支院長を経由することとなっていた。そして、支院長から日連正宗代表役員のもとへ提出された承認願は、まず宗務院庶務部において、提出された書類をもとに当該責任役員候補者の役職や入信歴、活動歴を調査し、疑問があれば直接当該寺院の住職に問い合わせるなどしてその適格性を調査していた。このようにして、過去においても、覚德寺、常修寺、持妙寺及び遠信寺において、責任役員としての適格性がないとして承認願を返却した例がある。

(二) 被告の主張

(1) 責任役員解任が宗規二三六条三項所定の解任事由に限定されないことについて

イ 宗規二三六条三項は、宗教法人法一二条一項一二号により、原告に適用されることはない。すなわち、同法一二条一項一二号、五号に、責任役員の任免に関し他の宗教団体を制約し、又は他の宗教団体によって制約される事項を定めた場合には、その事項を双方の宗教団体の規則中に明記されなければならない旨(以下「相互規定性」という。)定められているが、同条項にいう「規則」とは所轄庁による認証を受けた認証規則を指すところ、そもそも宗規は認証規則ではないから、宗規二三六条が原告に対して適用されることはない。

また原告規則中には、宗規二三六条三項に相当する規定はなく、その点でも相互規定性の要件を充足していないから、同条項が原告に対して適用されることはない。原告が相互規定性充足の根拠とする原告規則三五条は、白紙委任条項であり、被包括宗教法人を制約する事項について、同法人の規則中に個別具体的な規定を必要とする宗教法人一二条一項一二号の趣旨に照らし、原告規則三五条を右に相当する規定であると解することは許されない。

原告規則等には、他に責任役員の解任に関する明文の規定は存しない。

ロ ところで、宗教法人と責任役員との法律関係は、委任もしくは準委任の関係にあると解すべきであるから、宗教法人の規則中に責任役員に関する明文の規定がない限り、宗教法人は、民法の委任に関する規定である民法六五一条に基づき、何時でも事由の如何を問わず自由に責任役員を解任することができる。そして、原告規則八条二項本文により責任役員の選任権限を有する原告代表役員がその解任権限をも有すると解することが条理に合致するので、原告における責任役員の解任権限は、原告代表役員に委ねられていると解すべきところ、前記のとおり原告規則等には責任役員に関する明文の規定がないのであるから、原告代表役員である被告は、解任事由の制限を受けることなく、責任役員を自由に解任することができる。

したがって、本件解任行為には、日連正宗の法規に違反する点はない。

(2) 解任に日連正宗代表役員の承認が不要であることについて

イ 宗制四三条及び原告規則八条三項は、いずれも原告責任役員の選任に関する規定であって、その解任に関する規定ではないから、解任について適用されることはない。

それらの条項を、責任役員の解任の場合に類推適用して、日連正宗代表役員の承認を必要とすることも許されるべきではない。けだし、被包括法人の信教の自由、自律性、自主性を確保しようとする宗教法人法一二条一項一二号の趣旨からすれば、被包括宗教法人が包括宗教法人によって制約される事項については明文の規定が必要であり、責任役員の選任において包括宗教法人の承認を要求する旨の制約規定を、責任役員解任の手続に類推適用することは到底許されない。また、責任役員の選任の場合には包括宗教団体の承認が得られなければ他の適当な責任役員を選任すればよいだけであるが、被包括宗教法人とその責任役員との信頼関係がなくなったがために解任する必要がある場合に、包括宗教団体がそれを認めない以上解任できないとすれば、被包括宗教法人は自ら信任し得ない責任役員に法人の事務運営を一任せざるを得ないという不合理な事態が生じるから、実質的な観点からみても、原告規則八条三項等の類推適用は不当である。なお、他の法制度(例えば、知事・市長による副知事・助役の選任、解職についての議会の同意など)においても、選任と解任とで手続、制約のあり方が異なっている例が多数ある。

宗制四三条二項及び原告規則八条二項、三項によって、責任役員の選任権は原告代表者の他日連正宗代表役員にも帰属するとし、その適用ないし類推適用により責任役員の解任権も原告代表役員のみならず日連正宗代表役員にも帰属するとする解釈も、「承認」と「選任」とが原告規則上別々に規定されており(同規則八条二項、三項)、かつその基本的性質を明らかに異にすることからして、到底取り得ない。

ロ さらに、原告責任役員の選任に関する日連正宗代表役員の承認規定は、その運用の実情に照らすと、次のとおり事実上死文化し、法的には無意味なものとなっており、日連正宗代表役員の承認を求める行為に何らかの意味があるとしても、それは単なる「届出」としての意味を有するに過ぎない。

すなわち、日連正宗において、被包括宗教法人責任役員の選任につき、日連正宗代表役員による承認がなされた例は、従前一度もない。右承認は、これまで日連正宗管長の名で出されており、被包括宗教法人の責任役員選定届及び承認状御下附願の宛先も日連正宗管長となっていた。日連正宗における管長は、宗教団体としての日連正宗の宗務を総理する立場である(宗規一七条)から、宗教的ないし宗教行政上の事務(同一五条)を職務とするのに対し、代表役員は、日連正宗を代表して法人事務を職務としてこれを総理するものであり(宗制八条)、その権限は、宗教上の事項を含まない(宗教法人法一八条六項)。したがって、両者は全く別個の地位であり、職責も性質も全く異なる範疇のもとして明確に区別されている。日連正宗においては、宗制により、管長の地位にあるものが代表役員となる旨の規定があるため、結果的に同一人物が両者を兼ねることになるが、ある行為を管長が行ったからといって、当然に代表役員が行ったことになるものではない。

また、原告における責任役員の選任は、原告規則八条二項に規定された原告代表役員による選定により事実上完了していた。すなわち、同条三項の日連正宗代表役員による承認は、承認という文言こそ使用されているものの、実際には、「改選届」あるいは「選定届」という書面による管長に対する責任役員選任の事後報告的な届出行為と「承認状」の下附によるその確認という宗教的意味合いのもので、それも儀礼的、形式的に行われていたものに過ぎず、これまで原告において代表役員が選定した責任役員が不承認とされた例はない。

以上によれば、仮に責任役員の選定に関する日連正宗の代表役員の承認規定が解任の場合にも類推適用されるという解釈が可能であったとしても、選任に関する承認規定自体が法的意味を失っている以上、選任について日連正宗代表役員の承認が同宗の法規上要求されるということはあり得ないこととなるから、右承認のない本件解任行為を右法規に違反するということはできない。

ハ 本件解任行為は、次のとおり、被包括関係の廃止に必要な手続の一環としてなされたものであり、宗制四三条二項及び原告規則八条三項を類推適用して右解任行為に日連正宗代表役員の承認を要求することは、信教の自由(憲法二〇条)の保障は法経済上の側面からの法的規制よりも優先することを示した宗教法人法一条二項の精神、被包括宗教法人の被包括関係廃止の自由を保障するために、被包括関係廃止の場面における包括団体の制約を排除しようとする同法二六条一項、七八条の趣旨からして許されない。

すなわち、原告の住職である被告及び圧倒的多数の信徒は、信仰上の理由から、阿部管長の支配する日連正宗との被包括関係の廃止を望んでいた。しかるに、被包括関係廃止を妨げることを企図した日連正宗は、かねてより末寺の責任役員を信徒の総意に反し同宗との被包括関係廃止に反対することが明かなごく少数の信徒の中から選任するよう末寺の住職に対して人事権を背景に強制していたため、原告の平成五年一月当時の金井ら責任役員も日連正宗の意向に沿った責任役員で占められており、原告が日連正宗との被包括関係廃止の手続を行おうとしても、右金井ら責任役員が日連正宗に通報するなどして被包括関係廃止の手続を妨害することが明かであった。本件解任行為は、そのような状況下においてやむなく行われたものである。本件解任行為について日連正宗代表役員の承認が必要であると解するとすれば、事実上、宗教法人法二六条一項後段において、被包括関係廃止にかかわる規則変更の際に不要とされた包括宗教団体の代表役員の承認を要求するのに等しく、被包括関係廃止の道を事実上閉ざす結果となる。

2  本件罷免処分は有効か。

(一) 原告の主張

(1) 本件罷免処分は、被告が、宗規二三六条三項に定められた解任事由がなく、かつ、日連正宗代表役員の承認を受けないで解任を行った上、宗務院総監等から右違法な本件解任行為について白紙撤回の是正措置を取るよう訓戒を受けたにもかかわらずこれに従わず、提出を命じた報告書も提出しなかったことが、宗規一七〇条三項の「住職及び主管は、その職務の遂行に当たり、管長の嚮導を遵奉し、宗務院の命令及び通達に従い、寺院または教会の規則並びに本宗の法規を遵守しなければならない。」に違反し、宗規二四七条九号の「本宗の法規に違反し、訓戒を受けても改めない者」に該当するとしてなされたものである。

(2) 原告規則八条三項の規定からすれば、責任役員の解任についても日連正宗代表役員の承認が要件となることは明かであって、宗規、原告規則の解釈に不明瞭なところはなく、日連正宗代表役員の承認を得ない責任役員の解任が法規違反であることは明白であり、懲戒処分として不明確ということはできない。

なお被告は、類推適用によって懲戒処分なる不利益処分を行うことは許されないと主張するが、民事関係においては、類推解釈、類推適用は広く認められているところであり、その解釈の結果として、利益、不利益が生ずることも当然に予想されるところである。

(3) ところで、責任役員は、宗教法人法や原告規則上、宗教法人の事務を決定する常置必須の決定機関であり、責任役員会において代表役員と平等の決議権を有するなど、責任役員会を通じて代表役員の職務執行を監督するという重要な権限を有している。

しかるに、被告は、このように宗教法人において重要な地位を有する原告の責任役員全員を、宗制四三条及び原告規則八条三項に違反して解任したものであり、その違法性は重大である。

本件罷免処分は、右のように責任役員全員を違法に解任し、その上この違法行為について訓戒を受けたにもかかわらずこれを改めなかったことが宗規二四七条九号に該当することを理由としてなされたものであって、被告が被包括関係廃止を企てたことを理由とするものではない。

被告において本件解任行為を強行した動機が被包括関係の廃止にあったとしても、それによって違法な本件解任行為が正当化されるものでなく、懲戒事由となることに何ら妨げはない。

(二) 被告の主張

(1) 本件罷免処分は、原告と日連正宗との被包括関係廃止を妨害するという意図でなされたもので、かつ被包括関係廃止を企てたことを理由としてなされたものであるから、宗教法人法七八条により無効である。

すなわち、平成五年一月九日、本件解任行為後の新たな責任役員らにより構成された原告責任役員会において、日連正宗との被包括関係廃止及び右廃止に伴う規則変更の決議をし、同日、日連正宗に対し被包括廃止の通知をした上、所定の公告期間を経て、岩手県知事に対し規則変更認証申請を行ったが、その一連の手続の最中に、日連正宗から被告に対して、本件罷免処分がなされ、それに伴い渡瀬雄卓を原告の後任住職、すなわち原告代表役員に選任したとして本件建物の明渡しを要求するに至り、右規則変更認証申請も右渡瀬により取り下げられた。右事実経過、それに、日連正宗はもともと原告を含む末寺の被包括関係廃止を阻止する意図をもって前記のとおり責任役員会の構成に不当な支配、介入を行ってきたこと、日連正宗においては、法規違反する者があってもその者が被包括関係廃止を企てていなければ懲戒手続きをとっておらず、同種の懲戒事由を有するものと被告との間に処分の不均衡があることなどからして、本件罷免処分は、原告と日連正宗との被包括関係の廃止を妨害することを目的とし、またはこれを企てたことを理由とする不利益処分であることが明らかであるから、宗教法人法七八条一項に違反するものであり、同二項により無効である。

(2) 本来、懲戒などの不利益処分を行う場合には、処分事由は予め明確になっていなければならないところ、本件において、原告規則八条三項は、責任役員の選任について定めた規定であり、解任について定めた明文規定ではない。このような場合に、右規定が解任にも類推適用されるとして、これを前提に法規違反として懲戒なる不利益処分を行うことは、不利益規定の類推適用禁止の原則に反し許されない。また、行為当時に法規に違反するものかどうかが一義的に明らかでなく、当該法規について多様な解釈が成り立ち得る場合、事後的にその解釈の一つを採用して当該行為を違法であると裁判等により判断されることがあったとしても、行為当時においても違法であるとして、当該行為を行った者に対し、違法の責任を問うことができない場合もあり得るところ、本件の場合、本件解任行為に原告規則八条三項等の類推適用は許されないとする解釈も十分に成り立ち得るのであるから、このような解釈に立って被告が行った本件解任行為をもって、右法規に違反するとして処分することは許されない。

(3) 責任役員選任における日連正宗代表役員の承認については、具体的な基準がなく、承認するか不承認するかは全く日連正宗代表役員の恣意に委ねられている。すなわち、本件解任行為においては、日連正宗代表役員の恣意によって事後的に法規違反とすることもしないこともできる結果、本件罷免処分の事由の発生自体が日連正宗の恣意に委ねられる性質を有している。そのような恣意的処分を容易に許す処分事由は、処分事由として合理性を欠くものであり、不利益処分の根拠とすることは許されない。

そもそも日連正宗は、本件解任行為について承認する考えなどもともとなく、そのような日連正宗において、承認手続を経ていないことを理由に本件罷免処分を行うことは背理であり、許されない。

3  なお、被告は、本案前の答弁として、原告代表者渡瀬雄卓の代表権限を争い、訴の却下を求めているが、右趣旨は、結局本件罷免処分が無効であることを理由に右渡瀬雄卓の新たな原告住職任命の効力を争うものに過ぎないと解されるので、独立した争点として扱わないものとする。

第三  争点に対する判断

一  争点1(責任役員解任事由の限定の有無、日連正宗代表役員の承認の要否)について

1(一)  宗教法人とその責任役員との間の法律関係は、責任役員が宗教法人に関する事務を決定する職務権限を有している(宗教法人一八条四項)ことからみて、委任または準委任の関係にあるものと解されるので、右法律関係については、原則として民法六四三条以下の規定が適用されるものといわなければならないが、それらの規定はいわゆる任意規定であるから、当該宗教法人の規則中に、明文規定あるいは類推適用するのを相当とする規定があるとき、又は慣習があるときそれらが優先して適用され、そのような規定又は慣習すらないときに民法六四三条以下の規定が適用されるものというべきである(民法九一条、九二条)。

(二)  しかるところ、甲四、五によれば、原告規則七条に「代表役員以外の責任役員を『総代』という。」と、同規則三五条に「日連正宗の規則中この法人に関係がある事項に関する規定は、この法人についても、その効力を有する。」との各定めがあって、宗規二三六条三項に「総代が犯罪その他不良の行為があったときは、住職又は主管は、この法人の代表役員の承認を受けて、直ちに解任する。」との定めが存することが認められるが、本件全証拠によるも、右以外に、原告の責任役員の解任に関する明文規定が、宗制、宗規および原告規則中に存することは認めることができない。

(三)  そこで、相互規定性の点はさておき、原告における責任役員解任事由が、右宗規二三六条三項に定める責任役員に「犯罪その他不良の行為があったとき」に限定されるべきか否かについて検討するに、原告の責任役員は、前記宗教法人法の規定や原告規則一一条によって、責任役員会を通じ原告の事務全般を決定するという重要な職責を担う地位にあることに鑑みれば、責任役員の解任事由を宗規二三六条三項の場合に限定すると、責任役員について不適格事由が生じた場合や、その職務を懈怠するような場合に、当該責任役員が自ら辞任しない限りその任期中右役員を排除できないという不合理な結果を招くこととなるから、右規定は、同項の掲げる例外的な事実が生じた場合に必要的に総代(責任役員)を解任すべきことを規定しているに過ぎないものと解するのが相当であり、責任役員の解任事由を限定したものとは解し難い。

そうすると、宗規二三六条三項が原告規則三五条によって原告に適用されるか否かについて判断するまでもなく、責任役員解任事由は宗規二三六条三項に定める場合に限定されるとの原告の主張は採用できない。

(四)  以上によれば、原告には、責任役員解任について適用すべき明文の規定が存しないこととなるが、次に、原告規則中に右解任について類推適用するのを相当とする規定が存しないかどうかを検討する。

甲四、五によれば、原告規則八条二項に原告代表役員が責任役員を選定するとの定めがあるが、同条三項には右責任役員の選定に際し、日連正宗代表役員の承認を要する旨の定めがあり、また宗制四三条二項にも同様の規定があって、原告代表者の右選定権限を制約していることが認められる(なお、右原告規則も宗制も認証規則であることは当事者間に争いがない)。

右事実に照らせば、原告代表役員による責任役員の選任に日連正宗代表役員の承認が必要とされているのであるから、それと表裏の関係にある責任役員解任に際しても、原告代表役員の意思表示に加えて日連正宗代表役員の承認が必要であり、右承認があって初めて解任の効力を生ずるものと解するのが相当である。原告代表役員が、一方的意思表示によって任意に原告責任役員を解任することができると解することは、責任役員を宗教法人の事務を決定する常置必須の決定機関とし(宗教法人法一八条一項)、責任役員も責任役員会において代表役員と平等の決議権を有し、責任役員の定数の過半数をもって宗教法人の事務決定をする旨の規定(同法一九条、原告規則一一条)を置くなどして、責任役員に代表役員の監督機能を付与している宗教法人法及びこれを受けて各種の規定を設けている原告規則の趣旨を没却するものであって相当でないからである。

したがって、前記宗制四三条二項及び原告規則八条三項は、原告責任役員の解任の場合に類推適用されるものというべきであって、原告代表役員が原告責任役員を解任するには、日連正宗代表役員の承認を得ることが必要であると解される。

なお、被告は、知事・市長による副知事・助役の選任、解任など、選任と解任とで手続、制約のあり方が異なっている例が多数あると主張するけれども、本件のような場合とはその制度の前提事情が異なるのであるから、同一次元で対比することは適当でない。

(五)(1)  そこで、進んで右宗制四三条二項及び原告規則八条三項の日連正宗代表役員による承認規定が死文化していたか否かについて検討する。

右承認規定が死文化しているというためには、右規定が実質的に廃止されているなどの特段の事情がなければならないところ、被告は、従前において、責任役員選任の承認行為が日連正宗管長名で行われていたことを死文化の根拠の一つとしている。

しかしながら、当事者間に争いのない代表役員と管長とを同一人が兼ねる日連正宗宗制の体制、実情のもとにおいて、被包括関係にある寺院から責任役員選任に関する承認申請が行われた場合、代表役員が代表役員の名において行うべき事務を、慣行として宗教上の地位の呼称である管長の名において行っていたとの一事のみによって日連正宗代表役員による承認規定が死文化していたとまで評価することは相当ではない。従前における原告責任役員の選任に際し、日連正宗所定の諸願届書様式集に従い、日連正宗管長に提出されていた「壇信徒総代選定届」や「壇信徒総代改選届」の添付書類として「承認状御下附願」が存在していたことは当事者間に争いがないところ、右事実は、むしろ承認規定の運用を推認させるものである。現に、乙七の右諸願届書様式集には、「壇信徒総代選定届」等の書式として、宗規二三五条等により「承認状御下附願」等の関係書類を添えて申請する旨の文言が例示されているところ、乙一二ないし一六の各1の「壇信徒総代選定届」等によると、実際にも、それら選定届等に右文言が使用されていることが認められるのであり、これらの事実に照らしても、被告の承認規定死文化の主張は採用できない。

(2) また、被告は、日連正宗代表役員による承認の実態は事後的な届出で、それも儀礼的、形式的なものであり、法的効力を有するものではないと主張するけれども、原告における責任役員の選任につき、これまで原告代表役員が選任した責任役員が不承認とされたことはなく、右承認行為が、事後的に行われていたからといって、右事実のみによって、承認の実態が届出であったとか儀礼的、形式的なものであったということはできないから、右主張も理由がなく採用できない。

(六)  次に、本件解任行為は、被包括関係の廃止に必要な手続の一環としてなされたものであり、このような責任役員の解任行為について宗制四三条二項及び原告規則八条三項を類推適用して日連正宗代表役員の承認を要求することは、宗教法人法二六条一項、七八条の趣旨からして許されないとする被告の主張について検討する。

宗教法人が当該宗教法人を包括する宗教団体(包括宗教団体)との関係(被包括関係)を廃止しようとするときには、包括宗教団体側において布教等その宗教上の理由から右宗教法人との被包括関係の廃止を望まないこともあり得るのであるから、被包括関係の廃止を望む宗教法人とこれを望まない包括宗教団体との間において、それぞれ信教の自由が衝突し、宗教上の利害が相反することも起こり得る。宗教法人法二六条一項、七八条一項は、右のように、双方の信教の自由が衝突し信教上の利害が鋭く対立する被包括宗教法人と包括宗教団体との間を調整する規定として設けられたものであるから、これを厳格に解すべきであって、みだりに拡張解釈ないし類推解釈することは許されないというべきである。

しかるところ、宗教法人法二六条一項は、被包括関係の廃止に係る「規則の変更」に関して規定しているものであって、本件のように「責任役員の解任」に関して日連正宗代表役員の承認が必要か否かが問題となっている事案に直接適用されるべきものではない。むしろ、同条項は、規則変更の議決がなされるまでの責任役員会の構成(責任役員の選任、解任)に関しては包括宗教団体の権限を排除していないことが明らかである。また、同法七八条一項も、不利益処分を禁止しているだけであって、包括宗教団体の有するそれ以外の被包括宗教団体に対する権限行使を制限する趣旨の規定ではない。

そうすると、被告の責任役員解任の動機が被包括関係の廃止の手続を進めることにあり、また仮に、被告主張のとおり、原告代表役員である被告及び圧倒的多数の信徒が被包括関係廃止の意向を有しているという事情があったとしても、このような動機や事情は、責任役員の解任に日連正宗代表役員の承認が必要であるとの前記類推適用を排除する理由とはならないというべきである。

2  以上検討したところによれば、原告の責任役員解任事由は、宗規二三六条三項に定める事由に限定されるものではなく、原告代表役員は、責任役員選任権限と表裏の関係にある同解任権に基づき責任役員を解任することができるが、右解任については、日連正宗代表役員の承認が必要であるということになる。

二  争点2(本件罷免処分の有効性)について

1  甲四、一四、一五によれば、本件罷免処分の理由は、被告が、宗規二三六条三項に定められた解任事由がなく、かつ、日連正宗代表役員の承認を受けないで原告責任役員を解任するという違法行為を行って宗規一七〇条三項に違反した上、宗務院総監等から同行為について白紙撤回の是正措置を取るよう訓戒を受けたにもかかわらずそれに従わなかったことが、同二四七条九号に定める罷免事由である「本宗の法規に違反し、訓戒を受けても改めない者」に該当するとしてなされたものであることが認められるところ、右宗規二三六条三項は解任事由を限定する趣旨のものではないこと前記説示のとおりであるから、本件解任行為に右宗規の規定する解任事由が存しない点は罷免事由とはならないものの、その他の右懲戒事由とされた行為を被告がなしたこと自体は前記のとおり争いがなく、それら被告の一連の行為は、宗規二四七条九号に定める日連正宗住職の罷免事由に該当するものということができる。

2 ところで、被告は、本件罷免処分は、原告と日連正宗との被包括関係廃止を妨害するという意図でなされたもので、かつ被包括関係廃止を企てたことを理由としてなされたものであるから、宗教法人法七八条一項、二項により無効であると主張する。

しかしながら、同条は、前記説示のとおり、それぞれの信教の自由が衝突し、信教上の利害が鋭く対立する被包括宗教法人と包括宗教団体との間を調整する規定と解すべきであるから、みだりに拡張解釈ないし類推解釈することは相当でない。

のみならず、宗教団体を結成する自由及び国の干渉からの宗教活動の自由は、憲法により保障された重要な基本的人権の一つであることに鑑みれば、宗教団体の内部的自律権に属する行為は、法律に特段の定めがない限り尊重すべきであるから、宗教団体が組織内の自律的運営としてした懲戒その他の処分の当否については、原則として自律的解決に委ねるのを相当とし、したがって、当該処分が一般市民秩序と直接関係を有しない宗教団体の教義内容に関わるような場合には裁判所の審判権は及ばないというべきであり、他方、右処分が、本件罷免処分のように、宗教法人代表役員の地位や建物の占有権限を喪失せしめるなど一般市民としての権利利益を侵害するような場合であっても、右処分の当否は、当該宗教団体が自律的に定めた規範が公序良俗に反するなどの特段の事情がない限り、右規範に照らし、右規範を有しないときは条理に基づき、適正な手続に則ってされたか否かによって決すべきであり、その審理も右の点に限られるものと解される(政党についての最高裁昭和六〇年(オ)第四号・同六三年一二月二〇日第三小法廷判決・裁判集民事一五五号四〇五頁参照)ところ、本件においては、右の自律的規範である宗制四三条二項、原告規則八条三項、宗規二四七条九号の規定の適用があるか否かが問題になるが、その判断にあたって、宗教団体の教義内容に関わる判断を要しないから、裁判所の審判権が及ぶことはいうまでもない。そして、前記説示の責任役員の地位の重要性に鑑みれば、原告の責任役員の選任及び解任について日連正宗代表役員の承認をも要するとした宗制四三条二項及び原告規則八条三項の規定が公序良俗に反する不合理なものとは認め難いし、僧侶のうち「本宗の法規に違反し、訓戒を受けても改めない者」を罷免処分にすることができる旨を定めた宗規二四七条九号も公序良俗に反するものとは到底認め難い。

また、前記説示のとおり、被告が日連正宗代表役員の承認を受けずに行った本件解任行為及び訓戒に従わなかったことは、宗規二四七条九号に定める日連正宗住職の罷免事由に該当するところ、仮に、被告主張のとおり、本件解任行為をなした被告の動機が原告と日連正宗間の包括、被包括関係の廃止にあり、しかも、圧倒的多数の原告信徒が被包括関係廃止の意向を有しているという事情があったとしても、そのような動機や事情があることにより原告責任役員の解任に日連正宗代表役員の承認が不要となるものではないこと前記説示のとおりであって、それらの動機等の存在により本件解任行為自体が正当化されるものではないから、前記罷免事由該当行為を理由とする本件罷免処分について、日連正宗代表役員の裁量権に逸脱があったということはできず、したがって、本件罷免処分手続は、宗制、宗規、原告規則に則って適正になされたものと認めることができる。

なお被告は、被告と他の法規違反者とされる者との間に処分の不均衡があるとも主張するけれども、被告が比較事例として指摘する専妙寺等の事件と本件とでは事案を異にしているので、右事実のみによっては未だ日連正宗代表役員につき裁量権を逸脱するような特段の事情があるということはできないから、その余の点について判断するまでもなく、被告の右主張も採用できない。

3  次に被告は、本件罷免処分が不利益な類推解釈禁止の原則に反すると主張するので判断するに、本件罷免処分の理由は前記認定のとおりであって、単に宗制や原告規則等に違反して責任役員の解任をしたというだけでなく、日連正宗から右解任行為について白紙撤回の是正措置を取るよう訓戒を受けたにもかかわらずこれに従わなかったという点にもあるところ、被告は、本件罷免処分前に右訓戒を受けて日連正宗が本件解任行為を同宗の法規に違反するものと見ていることを知り得たのであり、訓戒に従って本件解任行為を撤回していれば、宗規二四七条九号の事由に該当することを理由とする処分を受けることはなかったものである。

また、被告が召喚により宗務院に出頭し訓戒を受けたのが平成五年五月一五日であることは前記のとおり当事者間に争いがないところ、甲一八によれば、その当時、既に、原告と同じく日連正宗を被包括法人とする妙道寺における本件解任行為と同内容の責任役員解任行為につき、日連正宗代表役員の承認がないことを理由にこれを無効とする裁判所の仮処分決定がなされていることが認められるので、被告において、責任役員の解任に、宗制四三条二項及び原告規則八条三項が類推適用されるという解釈を、裁判所が肯定する可能性があることを予測し得たものと推認される。

そうすると、被告の本件解任行為につき宗制四三条二項及び原告規則八条三項が類推適用されることにより、被告において予期しない不利益処分を受けたとは認め難いから、被告の右主張もまた採用できない。

4  ところで、被告は、責任役員選任における日連正宗代表役員の承認については具体的な基準がなく、承認するか不承認にするかは全く日連正宗代表役員の恣意に委ねられており、したがって、本件罷免処分の事由の発生自体が日連正宗の恣意に委ねられる性質を有しているから、そのような恣意的処分を容易に許す処分事由は、処分事由として合理性を欠くものであると主張し、そのような処分事由に基づく不利益処分は許されないかのように主張する。

しかしながら、宗規二四七条九号は「本宗の法規に違反し、訓戒を受けても改めない者」を罷免処分の事由と定めているのであって、日連正宗代表役員の承認を受けずに責任役員を解任したことが直ちに処分事由となるのではなく、日連正宗から同行為について白紙撤回の是正措置を取るよう訓戒を受けたにもかかわらずこれに従わなかった場合に初めて右処分事由となるのであるから、承認するか不承認にするかが日連正宗代表役員の裁量に委ねられているからといって、直ちに本件罷免処分の事由自体が日連正宗代表役員の恣意的裁量に委ねられているとはいえず、被告の右主張もまた採用できない。

5  以上検討したところによれば、本件罷免処分は有効であるといわざるを得ない。

第四  結論

以上の次第で、被告は、本件罷免処分により原告の住職及び代表役員たる地位を喪失し、これにともなって本件建物の占有権限をも失ったものと認められるので、原告の被告に対する本件建物所有権に基づく本件建物の明渡請求は理由があるからこれを認容し、仮執行宣言の申立てについては、相当でないからこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官佐々木寅男 裁判官鈴木桂子 裁判官福士利博)

別紙物件目録〈省略〉

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